悪貨は田中を駆逐する

ギターボーカルのタナカサトです

盗みも田中の門を過らず

 母校にて、高額な機材の紛失、ありていにいって盗難、それをうたがわれる事案、が頻発している、という話を仄聞いたしました。
 なげかわしい話であり、隔世の感です。

 私が在籍した時分は、実家のような安心感ともうしますか、つねに誰の私物だかわからない機材が大量にころがっており、それに手をつける人間などいませんでした。
 なかにはゴミ同然のものもあり、まあ、同然ともうしますか、実際ゴミなのですが、それも多々あり、つまりはゴミだらけといった状態で、そこにたむろしているのもまた、ゴミ同然の人間であり、まあ、同然ともうしますか、ゴミなのですが、つまりはゴミ人間がうろつくゴミ屋敷、の様相を呈しておるわけであり、そこもふくめまして、個人的には実家のバイブスをかんじたものです。

 私たちはゴミでしたが、ぬすみだけはやりませんでした。

 厳密にもうしますと、多少この、やっていたひともいました。
 すなわち、女性の先輩でしたが、学校の備品のトイレットペーパーを自室にもちかえるということを常習していると豪語していました。
 「紙なんか買うやつバカだよ」と放言してはばかるところがありませんでした。
 時効でしょうが、犯罪です。
 犯罪ですが、それはそれとして、だいすきな先輩でした。

 ようて道にたおれた彼女をせおうたことがありましたが、莫大な乳がこの。
 だいすきな先輩でした。

 居候先ですが、家主の方針で昼間は施錠されていません。ぶっそうきわまりない、かんべんしてくれ。
 楽器類をぬすまれるとこまるのですが、家主には容易にさからえませんし、私の部屋には鍵がついていません。
 苦肉の策として、2階全体をホーム・アローンみたいにしています。
 トラップのよけかたをしらない人間が階上にあがろうとすると、非常に危険な目にあうとおもいます。私自身、何度もしにかかっている。

 東東京でいきるのは、楽ではないのです。

 いきつけの楽器店もまた、盗難の被害に遭いかけたことがあったそうです。
 閉店後の深夜、シャッターを破壊されたとか。さいわいにも売り物や売上金などに被害はなかったそうですが、器物損壊で、警察の捜査のための臨時休業をしいられるなど、たいへんな迷惑をこうむったそうで、ゆゆしきことです。

 窃盗犯につぐ。ほかならともかく、あの店だけはやめろ。

 駅近、良心的な価格、親切な店主、ちかくに安ウマな中華屋がある、など、サイコーの店なのです。

 今回買ったのは、BOSS RCL-10(白ノブタイプ)。そうだよ、またなにか買ったんだよ。

 おかりしていた本とCDをおかえしする、という用事があり、高円寺まででました。正確にいうと、高円寺をいきすぎて荻窪まででました。なんなんだよ通勤快速って。
 高円寺までいって、あの店によらぬ手はありません。というか、あの店によるために高円寺でまちあわせたのです。にわとりの先っちょだけでいいからか、たまごの先っちょだけでいいからか。

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 ふたたび、ノイズゲートがきになりはじめたのです。
 学生時代、Prefuse 73に影響されて、なんでもかんでも極端なゲートとコンプをかけていた時期がありました。ありました、ともうしますか、いまだにその傾向があります。
 ギターでそういう音づくりはできないものか、と画策しているのです。

 ギター用のゲートは、どのようなセッティングにしても質感がノイジーにならないように、設定をしぼりきっても、多少リリースがのこるようにチューニングされているものも多いようです。
 以前Amazonのセールでタダ同然の価格で仕入れたDonnerのNoise Killerは、そうでした。あれはあれでおもしろかったけども。

 試奏してみたところ、RCL-10はバチバチ! まではいかないものの、パ! というきれかたはしてくれます。コンプも上等な効き方で、きにいりました。
 BOSSコンはアニバーサリーイヤーでどうも再評価の機運がたかまっておるようで、プロミュージシャンたちへの賛辞がデジマートマガジンをにぎわせていますが、BOSSとかだれもかれもつかってるのでいやだというだけの理由で忌避していました。
 しかし、ハーフラックならばよいのです。このシリーズ、そろえたくなってきたな。

 そいつをたずさえていって自慢しながら、ぶんちゃんと新宿で一杯やりました。

 機材買ったあとのビールは最高。

田中の心は母心

 指がなんかこう、指弾きしてるときのかんじになってるのですが、してるのでしょうか。いわれても、しらねえよな。

 つまり、右手の指の皮、弦にあたる部分がぶあつくかたくなっています。こうなってしまうともう、針をさしたくらいでは痛みもありません。
 どちらかというとベーシストであった時分は、右手の三指は常にこのような状態でした。

 たしかに最近、ギターにおいてですが、指弾きを頻繁におこなっている、きもします。そういえば砂糖鳥にも、指の曲がありました。
 おもえば私は、ジェフ・ベックの大ファンでもあります。
 ベックはある時期からフラットピックをすて、エレキギターにおけるフィンガーピッキングの道をきわめはじめました。
 つまり、例のギター野郎がライブおわりに調子のって客になげつけたりする小道具をつかわなくなったのです。

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 なにもギターにかぎったことではありません。
 音楽に対峙する姿勢が、根本的に巷間の音楽家と異にしている。ベックの演奏に接すると、そのことがおわかりいただけるかとおもいます。意識の方向が別次元をさしているのです。
 私がコピーできるきがしない、あるいは実際にできない、のは当然のこととして、そこらへんの人がユーチューブに雑なコピーあげてるのみるたときすらムキーッとなります。
 そうです、私が厄介なオタクです。

 このブログらしく足もとにスポットライトをあててみますと、ベックはエフェクターをつかったり、つかわなかったりします。たいていのギター弾きはそうだろうな。
 つまりヤツは、気分屋なのです。
 歪みひとつとっても、そうです。ファズをふんでいる時期もあれば、アン直にちかい時期もあります。
 そのアンプにしても、近年はマーシャルのイメージがつよいですが、かつては様々な機種をつかっていました。

 あの指となんらかのギターとアンプという要素がそろっていればたいていなんとかなってしまうというのが、ジェフ・ベックのサウンドメイクの実態でしょう。

 モジュレーション系では、トークボックスやらリングモジュレーターやら、キワモノがちょいちょい顔をのぞかせます。
 しかし、どうやっても本人の指が一番変態なので、たとえばこういったものですこしきかざってみたとしても、まずベックにはちかづけません。
 だいたいリングモジュレーターなんかかけたら誰が何ひいてもおなじになっちゃうし、アン直のほうがよほど変態。ロックの人間は変態のほうがえらいという前提で話をすすめがち。

 ところで。「ベーシストは変態」とは、なんであったでしょうか。

 もっとも私に身近なベーシストについてかんがえてみることにいたしましょう。
 つまり、砂糖鳥のベーシストであるわれらがぶんちゃんについてです。

 結論からもうしますと、彼は変態ではありません。
 記述により正確を期すならば、変態かどうか、私としては、しりません。ただしそういった風評は、彼とのみじかからぬつきあいの中で、いまのところまったくありません。
 そして私自身、彼に特段の変態性をかんじません。
 音楽関係者にかぎっても、パートナーの首をしめる、パートナーの放尿音を便器に耳をあててきく、パートナーとテレフォンセックスでSMプレイをおこない後日脅迫されるなど、枚挙にいとまがないほどのつわものがそろっています。
 そういった社会の歪みとくらべれば、ぶんちゃんなどうまれたばかりの男子高校生のように健康、かつ優良です。

 私が彼にかんしてもうしあげられることとしては、すこしばかり男根がおおきい、ということだけです。

 かのレス・クレイプールはいいました。
 「バンドリーダーっていうのはな、バンドの中でペニスがいちばんおおきいやつがなるんだよ。つまり俺のことだけどな」と。
 10年くらい前に匿名掲示板でみかけた記憶の中にしかない言葉で、真偽は不明です。しかし、いかにも彼がいいそうではないですか。

 バンドメンバー全員にペニスがない場合は、いかがなりましょうか。
 つまりはガールズバンドである場合です。やはりクリチンポが、はい。よします。

 私とて、こんなことがいいたくてブログをはじめたのではないのです。
 私がブログでつたえたかったこととは、なんであったでしょうか。

 ほんとうは朝から晩までエフェクターの話してたい。

 しかし、みなさんだって現行型のDB-1何台もほしいとかいわれても意味がわからないでしょう。なにしろこんなもの、DB-1がなんだかしっている向きにはなおさら意味不明の文言だし、きやすくネットの海に放流していいものともおもわれないのです。
 それで私はまた以下のごときものに身をやつし、闇にきえていくのです。

 ゲレンデがとけるほど恋したい。
 指の皮むけるほどトーマス・マンしたい。

 そんなヴァギナ。

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空から田中を見てみよう

 ひとの身体的な特徴をことさらにあげつらう。ともすればそれをあざわらい、はてはののしるなどする。
 そういったことは、人の道をはずれたおこないといえましょう。
 度しがたいことなのです。

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 いけません。

 ありとあらゆる非人道的な言動がまかりとおる無法地帯、すなわち、わが実家唯一のタブーが、このふた文字なのです。
 神聖二文字を口にしないこと。それがタナカ家最後の良心であったのです。

 おさなき日の私は、神童でした。

 二歳にして、「柿の実がいろづいてきたなあ」などと口走っていたとの由。
 そのヴィヴィッドな言語感覚でもって、おのれを抱いている父親の頭をなで、親戚一同がそろっている場で、「なんだこりゃ、ハゲてんじゃねえか」と、大声で。

 いけません。

 父は私を抱いたまま、無言で退室したそうです。
 その後父が私に対してなにをいい、あるいは、なにをおこなったのか。だれも知りません。

 以来、その二文字は、父がいないときにだけいいかわされる語となりました。
 母子の、秘密の合言葉となりました。

 カツラ、育毛、植毛、発毛。すなわち、ちまたにあふれかえる薄毛対策。アデランスイブクイーン。
 それらのコマーシャルが我が家の食卓にもたらす、澱のような空気。海原はるか・かなた師匠の罪深さ。タモリさんへの、疑惑。マスメディアが報じないこと。

 頭髪とは、なんのためにあったのでしょうか。
 私たちに新たなかなしみをおしえるために、生えたり、あるいは、生えなかったり、するのでしょうか。

 この世界には、たとえ事実であっても、絶対に言及してはいけないこと、があります。
 たとえば、敢えてうつくしいところをいきますと、ある種の想い、も、そのひとつではないでしょうか。すなわちそれは、禁じられた愛です。
 道ならぬ恋。その胸にたしかにある言葉を秘めたまま、かさねる逢瀬。
 おまえはどれだけ私の心をたたいてる。
 これ以上、私の評判をさげるな。

 違うだろ?

 いけません。

 ことばとは、なんのためのものでしょうか。
 他に対してのそれ、ということにかぎってもうしあげるならば、ふたつに大別して考えることができましょう。

 つまりそれは、必要な情報をつたえるためのもの。
 あるいはそれは、なにかしらのきもちを生じせしめるためのもの。

 既に歴然とハゲている人間、いけません。既に歴然と頭髪にかなしみをたたえた人間、未来を。
 その当人に対して、このハゲ、といいたてることが、情報としてどのような意味をもちえましょうか。
 たとえばそれが、ハゲ、違うだろ? 患部、ともうしますか、特定危険部位が、鏡にうつらない頭頂部、ないしは後頭部であり、本人のしるところでないとすれば、情報としてもたらさなければならない場合も、一般的に考えられるわけです。
 つまり、「この(部分の)ハゲ」という場合です。

 では、ハゲ、ピー。その、なんというか、あの差別用語が喚起するのは、どのような感情なのでしょうか。

 しりとうない。

 前にももうしましたし、また賢明なるみなさんには冒頭の一節からおさっしのことともおもわれるのですが、私は父方から特定危険遺伝子をついでいます。
 父も、父の父も、父の父の父も、特定危険人間でした。

 さけられる運命なのでしょうか。
 このハゲ、とののしられながら、打擲をうける。私には、他人ごととはとてもおもわれないのです。

 人間はひとつずつ、両親から肉体をあたえられます。みずからえらぶことは、残念ながらできないのです。
 その肉体が、のがれられぬ業をせおわされていることもあります。
 なれば、絶望のありかは、闇の底は、どこであったしょうか。

 ハゲにハゲと言ってはいけません。

 イジられたほうが気が楽だろう、などと、余計な忖度をさしはさんではいけません。
 そうした優越感と通底した傲慢さが、今日もどこかでいじめの構造を生むのです。
 彼らは毛がないぶん、きずつきやすい。そのようにかんがえてください。ダーウィンが来た!」のナレーションに接するように、知識としてうけいれてください。

 ちょおっと待ったあ。
 なんですかハゲじい。

 闇ばかりではありません。
 不毛の地にさす光も、あるのです。反射光の話をしたいのではない。
 つまり、「ハゲ散らかした」紳士の自由恋愛の話を、ききました。アラサー巨乳美女との酒池肉林の話を、ききました。また光もらっちゃったね。

 元気出るよ。

冷やし田中はじめました

 チバユウスケさんが携帯電話をもたないことは、ファンの間ではつとに有名です。

 出先で音信不通になってしまう、という、業務にきたすいちじるしい支障について最近テレビ番組でイジられ、「公衆電話を撤去したやつがわるい」と喝破し、さらにツッコまれていました。

 みなさんにおかれましては、どうおもわれましたでしょうか。

 僭越ながら私には、チバさんのおきもちがすこしくわかるのです。
 つまり世のうつろいというものは、往々にして私たちをおきざりにしていきます。

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 つめかえ、という作業が苦手なのです。
 えらい苦手です。

 ああいう貧乏くさいことを最初にかんがえたのはだれなのでしょうか。私が貧乏じゃなかったら炎上するんだろうな、こういうの。
   たとれば、おしゃれ着洗い用洗剤、というものがあります。
 私はおしゃれなので、これを湯水のごとくつかいます。1回2回はおったらもう洗ってしまうのです。ジャケットが数着しかないことがうかがいしれる。
 駅前の薬局でこれをかおうとすると、ボトルがおかれておらず、詰め替え用のみが売られている、ということがあります。

 ここですこしばかり、おかんがえいただきたい。
 百歩譲って、私は詰め替えに甘んじるとしましょう。その業をひきうけるとしましょう。悪魔の子をそだてるとしましょう。
 家に空きボトルのないご新規さんは、どうすればよいのでしょうか。どうしろというのでしょうか。
 一見さんおことわり、ということなのでしょうか。
 小池さん、これがあなたの都民ファーストですか。

 くるっている。世の中がすこしずつ、くるってきている。
 それをかんじます。かんじずにいられましょうか。
 排外主義が声高にさけばれ、平和憲法がかろんじられ、「助けて! きわめびと」が主婦向け路線にシフトし、詰め替え用パックのみが店頭にならぶ、私たちの21世紀。

 有り体にもうしまして、ボディーソープとかなら詰め替えパック直でもギリいけます。風呂場だし、最悪こぼれてもなんとかなる。
 ホームクリーニングエマールは無理。危険すぎる。

 課金、なる語にかんして。
 本来字義どおりに、「料金を課す」というほどの意味であったはずです。
 しかるに昨今、オンラインゲームのプレイヤーたちの符丁が一般化し、一部の若いネット世代には「有料サービスを利用する」という、真逆ともいえる意味合いでつかわれるようになっています。
 これも世の中の変化といえましょう。言葉はいきもの。
 このことをふまえて、以下をおよみいただければさいわいです。

 私はボトルにならいくらでも課金するのです。  たかだか100円であの労苦をアウトソーシングできるなら、他の選択肢などありません。
 地球環境? おのれの魂ひとつまもられぬ世界でなにが地球環境か。
 私のこころは、地球より重いのです。

 これにもましてなおゆるせぬもの。それが、最新機種のiPhoneです。すなわち、iPhone7とその眷属たちです。
 連中には、ステレオミニのイヤフォンアウトがないのです。穴はひとつしかないから。

 いったいなにをかんがえているのでしょうか。

 Bluetoothイヤフォンをつかえ、さもなくば、死ね、ということなのでしょう。そんなものはもちあわせない。
 Lightningの穴、俗にいう光源膣(ひかるげんぢつ)ですが、本体に付属していたこれとステレオミニの変換ケーブルもものの2秒で紛失し、すでにあとかたもありません。
 私は出先で音楽を聴く習慣がないのでとくにこまらないような気もしました。しかし、やはり不便は生じてしまったのです。

 つまり、リハスタでこまったのです。

 せっかく苦心してあらかじめクラウドアーカイブしておいた過去のリハ音源が、スタジオのモニターで聴けない。
 このような理不尽があってよいのでしょうか。

 店員さんの口車にのせられてうかうかと新型にのりかえたばかりに、このような目にあったのです。
 すべてはキャリアショップのおねえさんの手がつめたいのがいけないのです。
 女性の手がつめたいとドキッとしますよね。しませんか。

 昨夜また、砂糖鳥のリハでした。
 水道橋の飲み屋はやたらと閉店がはやい。いつもの下北沢にかえりたくなりました。

 音だけは時代の先をいきたい。

蒼い影につつまれた田中が

 痛み、について、お話しなければいけない時代になってしまいました。
 かつてオタクがもちあわせていた痛み、について。

 「アキバ系」なるレトリックでもって、オタクが社会にうけいれられてから、みじかからぬ月日がながれました。
 オタクの相対的な善良さ、人権、顧客層としての価値。
 おそらくは「電車男」を境に人々はこれらのことにきづきはじめました。
 こと2010年代にいたっては、オタク自体が性的に消費されるまでにあいなりました。
 自由と繁栄の弧種びゅるびゅるらめぇっ♥ よき時代といえましょう。

 なればそれまでは、どうであったのでしょうか。
 プレ電車男の御代においては、オタクはどうあつかわれていたのでしょうか。

 ゴミ同然のあつかい。そのように記憶しています。
 眉をひそめられた方がおられるとすれば、いまいちど胸に手をあてて、かんがえてみていただきたい。
 かつてのみなさんはオタクを、どのようにあつかっていましたでしょうか。

 おもえばかれらは、宅間ショック以来の犯罪予備軍としてのあつかいすらも、甘んじてうけいれていました。
 かれらは日陰者でありつづけたのです。  いまなお、その風潮はすくなからずあるようにみうけられます。しかるに、オタクコンテンツの市場価値をマスメディアがじゅうぶんにみとめたいま、かつてほどあけすけな「弾圧」は、おこなわれなくなったようにみうけられます。

 当時。オタクと非オタクは、まっとうなコミュニケーションすらままなりませんでした。
 大正義しょこたんすらも、まだ世に出てはおらぬ。不毛の時代です。
 それは、匿名掲示板群の住民たちは、意味不明の言語をもちいながらも他人を不快にさせるなにかしらの言辞を弄していることだけはわかる、Yahoo!検索のノイズでしかなかったことを意味します。テラキモスwww
   いくばくか状況がかわってきたのは、おもしろFlashブームからでしょうか。
 オタクならずとも笑みがこぼれてしまうような千葉滋賀佐賀がインターネットを席巻しました。開国してくださぁ~いよぉ~♥
 クラスの中心的なメンバー、DQNスクールカースト高位のものたちと、最下層民たるオタクとの間に、共通の話題がうまれました。
 後にニコニコ動画が顕現させるオタクとヤンキーカルチャーの融合が、ここに萌芽していたようにおもわれます。神仏習合です。

 私も大学にはいって、同期で一番の伊達男がちんこ音頭をMDにおとして飲み会に持ってくるのを目撃しました。
 スピードスケートでインターハイに出場し、HY湘南乃風をこのんで聴くような男が、です。

 ちんこ音頭。名曲ですね。その作詞には、ポピュラーの粋があります。
 つまり、「ちんこもみもみ」なればこそ、ハイカーストにゆるされ、ネタとしての市民権を獲得し、クラシックスたりえたのです。
 たとえばこれが「ちんこしこしこ」あるいは「ちんこごしごし」であったならば、どうであったでしょうか。一発屋として、あるいは伝説として、ネットの藻屑ときえてもおかしくはなかったでしょう。
 エッジを攻めつつも、そこに存在する確たるコードを理解している。死球はほうらない。この桑田佳祐さんも真っ青のバランス感覚。  

 痛み、とは、なんであったでしょうか。

 痛車、という言葉をごぞんじでしょうか。
 もしかしたらみなさんも、一度くらいはごらんになったことがあるのではないでしょうか。美少女キャラクターがおおきくえがかれた乗用車のことです。
 その身にたずさえるキャラクターグッズとして、これほど絢爛なものがありえましょうか。まさに花咲く桃山文化、オタの極み、垂涎の的です。
 しかし、世間の目は白い。そして、ここをご理解ください、オタクの目もまた、白いのです。
 なんということを。あのような痛いものを、衆目にさらしてしまって。

 おわかりいただけますでしょうか。
 オタク、その言動が、よりパーシャルな論点としては、その口調、あるいはまた、かれらの所持する美少女キャラクターにまつわる物品。
 それらがまとう、いいしれぬ妖気。  痛み、とは、それらへの自覚、のことです。
 つまり痛みとは、オタク自身のうちにのみ、走るのです。

 これは、プレ電車男時代をおもいおこしていただかなければ、あるいは、それについてご想像いただかなければ、もはや肌身にかんじることができないでしょう。
 なにしろことは、自治体が萌えキャラを推し、聖地という名の痛街が各地に雨後の筍のようにあらわれるまでにいたっています。
 わかいオタクたちは、もはや痛みをかんじえないでしょう。

 痛み。それは、社会からせおわされたすべての業とともに、においとして、音として、あるいは、いいつくせぬ第六の感覚として、たしかにそこに、オタクの胸に、つまり、私の胸に、あったのです。

 そのような不毛の時代に降臨した、エフェクターの始祖があります。
 リッチー・コッツェンスティーヴ・ヴァイ。錚々たる面々のボードに居場所をかちえ、国産ハンドメイドペダルの嚆矢としてかがやかしい地位を獲得しながらも、あの絵はなんなんだという素朴な疑問には口をつぐみ、いまなお新たラインナップにも黙々とあの絵をきざみつづける、孤高の存在。
 Handmade in Kyoto。Neo Vintage。

 ずっとほしかった。
 ありていにいって、買った。

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 あまやかな痛み。

田中派野郎

 い、石破さんとかでしょうか。

 安心してください、元ネタは「未来派野郎」ですよ。大名盤ですね。

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 雲行きがあやしくなってきました。
 つまり、量子化は罪、をモットーに、入り口から出口までのフルアナログをうたっていた私の足元のようすが、だいぶおかしくなってきたのです。

 おもえば、武蔵小山ハードオフで保護してきたBOSS SP-202を教ちゃんにたくしたのが、運の尽きでした。

 もともと教ちゃんが死蔵していたRoland SPD-SXをつかってリアルタイムサンプリングができないか、と提案したのも、私でした。
 SPD-SXはドラマーやパーカッショニスト向けの、非常に堅実なデジタルパーカッションです。
 それゆえ、サンプリングの操作体系はどちらかといえば非リアルタイム志向であるようにみうけられます。つまり、事前にネタを仕込んでいくのが基本、とかんじられます。これを無理やりライブでネタ録りからやってやろう、というわけです。
 一度はうまくいったのですが、30分かけてセッティングしたのになにかの不具合でサンプリングできないということがあり、以来すっかりメゲてしまっていました。
 ここでサンプリングの道をすてるのはあまりにもおしい。なにか手はないか、とおもっていたところ、SP-202をみつけたのです。

 SP-202は、まごうかたなき名機です。
 サンプリングにまつわるファンクション、作業フローが整理しつくされており、いねむりしていてもサンプリングできます。猿でもサンプリングできます。STAP細胞は、あります。
 この機種特有のエフェクトセクションも秀逸。これが粗いんだけど、絶妙にさわってて飽きない質感なのです。
 お世辞にもリッチとはいいがたいDSPパワーを極限までつかいきる、という開発陣の意気込みがかんじられます。
 それゆえに同時使用が制限されるエフェクトアルゴリズムのくみあわせが多々あり、これもまた時代のにおいがして、ほほえましい。
 なによりおどろかされたのが、内蔵マイクです。玩具のオマケだとおもってナメていましたが、音楽的なキャラクターをもちあわせていました。

 SP-202により、教ちゃんは即座にリアルタイムサンプリングの魅力にとりつかれました。そこから202のスペック不足をかんじだすまで、数日とかかりませんでした。
 いまでは教ちゃんはあれもこれもとハードウェアサンプラーをかいあさり、ニコ動の素敵動画からのネタ仕込みに余念がありません。

 このありさまを、指をくわえてみていられましょうか。
 私はもともと、そちら側の人間なのです。

 足もとの異変の端緒は、MASF PEDALS RAPTIOの導入でした。
 いかに私のピッキングのつよさが非人間的であるとはいえ、サンプラーのエッジ感、PCMの無慈悲な質感に素手ではとうていかなうものではありません。
 RAPTIOは、まえまえからきになってもいたのです。

 RAPTIOのショートループとカッティングとの偶発的なくみあわせは教ちゃんのおぼえもめでたく、「もう一台買って直列しろ」ととんでもないアドバイスをうけますが、あれはアンラッチスイッチなので、ふむのがたいへんな気がする。

 そこからは、俄然ルーパーに興味がわいてきました。

 VOX VDL-1、PIGTRONIX Infinity Looper、Z.VEX EFFECTS Lo-Fi Loop Junky。みんなちがって、みんないい。ありていにもうしますと全部ほしいのですが、あいにくとすべて国外で生産されているのです。
 財布のひもに最後の一線をもうけるために、筐体が白・黒・銀・赤のうちいずれかを配色してデザインされた国内生産の製品しかかわない、という掟、俺ルールをかたくまもっています。
 以前ももうしましたが、これでもなお、週に一台くらいは買っている気がします。

 週末なので、ハードオフにもうでました。他にやることねえのか。
 とりあえずKORGのエクスプレッションペダルを確保するなどしつつ、ルーパーがオマケでついてくる類のものはないかな、とフロアマルチの棚をあさっていると、私はそれに、であいました。
 であってしまいました。

 ZOOMです。ZOOMのフロアマルチ。一生モノでした。

 むかしからZOOMはだいすきなのです。価格がやすい上、つくりがまじめ一徹です。ハイオーディオ的なまじめさではなく、ユーザーのニーズにむきあっています。
 知るかぎりでは、24bit96kHzの「ハイレゾ」音質をフロアマルチで最初に採用したのは、ZOOM G2でした。
 G2Nu。アクエリアスをこぼして再起不能にするまでは毎日つかっていました。
 現行のフロアマルチではすこしサンプリングレートをおとしていますが、それもかんがえがあってのことだとおもいます。

 さて、私が今般導入したのは、どれであったでしょうか。
 型番はかきません。万が一にもこのエントリーが原因で入手性がわるくなるということがあってはこまるからです。予備ほしいんだよな。
 ねんのためにもうしあげますが、2020ではありません。動画は子どもがかわいいだけのダミーだ。

 動画のこの子のありかた、個人的には即興演奏におけるリファレンス。

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あの日見た田中の名前を僕達はまだ知らない。

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 モテる田中とモテない田中のちがいについて、ひきつづきおはなしします。

 前回、ぶんちゃんの巨根はぶんちゃんのモテとは関係ない、というところまでおはなししましたね。よまなくていいんだよ。

 では、ぶんちゃんのモテの秘密が、彼のノドンに、あるいはテポドンに、ないとするならば、そのありかとは、モテの源泉とは、どこであったでしょうか。

 そのこたえにせまるまえに、まずはモテない田中の話をしましょう。

 このブログには、いまのところ三人の田中とが登場します。
 私、ギターボーカルのタナカサト。
 ベースのぶんちゃん。

 ギター、ベースときたならば、ドラムにも田中はおりましょう。
 海の底にも、都はありましょう。

 教ちゃんとて、私と比較したら断然にモテています。
 本人は断じてみとめることをしませんが、私の目には教ちゃんのモテがはっきりとうつっています。私の目は、節穴ではないのです。

 したがいまして、まずはモテない田中は私ということになりましょう。
 もっとも、私がそうである要因、すなわち、私の非モテ要素、ともうしますのは、このブログの読者諸兄にはご説明もうしあげるまでもないこととおもわれます。ありていにもうしまして、よんでりゃわかんだろ。

 私よりはモテる田中、教ちゃん。
 しかしながらそのモテ量は、モテクオンティティは、ぶんちゃんとはくらぶるべくもありません。
 ぶんちゃんと比較したとき。ぶんちゃんを基準値としたときに、教ちゃんもまた、モテない田中であるといえるのではないでしょうか。

 では、ぶんちゃんと、教ちゃん。モテる田中と、モテない田中。いったい、なにがちがったのでしょうか。

 一昨日の夜。私たちは、例によって酒におぼれていました。
 私たち――つまり、教ちゃんと私。モテないほうの田中たちです。ぶんちゃんは、酒におぼれるということがほとんどありません。まずここがちがう。

 様々なことがあったらしいのですがおぼえておらず、意識がもどったときには千葉県我孫子市にいました。
 千葉県我孫子市事実上の茨城県
 東京にかえる電車は、当然にありませんでした。

 モテないほうの田中がふたり、用もないのに深夜の我孫子
 私は「Fxxk」とかわめきちらしながら教ちゃんをタクシーにおしこみ、また自分ものりこみました。
 最寄りのネカフェが徒歩15分の場所だったのです。そのときの私は眠気にくわえていくらかの頭痛もありましたので、あるいていく気はとてもしませんでした。

 「iPhoneがみあたらないんだが」とうったえる教ちゃんを「むかしはiPhoneなんかなかったんだよ」などとなだめすかしながら自遊空間の戸をたたくと、ネカフェ特有のわずらわしい入会手続きがまっています。
 泥酔した私がトロトロとタッチパネルの操作をなんどもしくじったりしておる間、教ちゃんはトイレをつかったりしていました。

 まあたらしい会員カードと伝票を手に、はれて受付から放免され、やれやれ始発までひとねむり。
 といったところで、トイレからでてきた教ちゃんが私をよびとめると、めでたく鞄のなかから発見されたというiPhoneの画面をのぞきこみながら、想像だにしなかった言葉をいいはなちました。

 「そしたらまあ、僕はどうやらかえれるんで、あるいてかえるわ」

 そのときの彼に私がいかなることばをかけたか、さだかではありません。
 記憶は、ここでとぎれています。

 翌朝、5時すぎ。
 ジャケットをはおったままフラットシートに横になっている男がいました。それがどうやら私です。
 悲惨な状態を自覚しながらも、それでも昼まで寝すごしたのよりははるかにマシと、気をとりなおしてさっそく、教ちゃんにLINEをいれます。
 「俺そろそろかえろうとおもうんだが君どうする」

 そこで、重い頭に昨夜の記憶のかけらが閃光のようによみがえりました。

 「そしたらまあ、僕はどうやらかえれるんで、あるいてかえるわ」

 まさか。

 私はすこしくふるえをきたした指で、LINEをうちました。

 「まさか君、かえったのか」
 「おういぇ」

 おういぇ、ではないのです。

 彼はほんとうに、徒歩で東東京にかえっていました。つまり不眠不休で、自室まであるきとおしたのです。
 東なりとて東京。6時間かかったそうです。
 24時間テレビの終盤みたいなことを、彼はひとりでやっていたのです。

 おどろきもさめやらぬまま、しかし私も帰宅して私の1日をはじめなければならないので、払いをすませておもてへでました。
 朝日のやわらかさ。Googleの地図をたよりに、駅まであるくことにしました。

 みおぼえのある音と光。ここは。
 我孫子――そうです、かつて茨城にすんでいたころ、ぶんちゃんと一緒にちょうどこのような時間帯、彼にさそわれて散歩しにきた、そのなだらかな丘の上の町並みでした。

 わらってしまうほど、そこは記憶の中のあの朝と、なにもかわっていませんでした。

 目的地はありませんでした。私たちは気のむくままに路地にはいり、シャッターをきり、言葉すくなにかたらいました。
 ぶんちゃんは、そのようなことに、つまりは、ほんのりデートめいたことに、ほんとうに何の気なしに、友達をさそうところがありました。もちろん、他意はないのでしょう。おそらくはささやかに素敵な時間を、願わくは友と共有したい、といったきもちなのです。これってモテになりませんかね。
 ぶんちゃんは土地勘がつよく、どのような場所でもまようことがありません。彼にまかせておけば、てきとうに歩きまわってあも必ずかえれるのです。これってモテになりませんかね。

 そろそろ、おわかりいただけましたでしょうか。
 モテる田中と、モテない田中。

 朝の我孫子を、友人とあてもなくそぞろ歩く田中。
 夜の我孫子を、東京の自宅までひとり6時間歩く田中。

 そして、6時間田中とともに歩いてかえればひと晩でハクリューを進化させられたかもしれないと今かんがえているポケモントレーナー田中が、今後モテるみこみはあるのでしょうか。

 田中たちに明日はない。