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国やぶれて田中あり

田中兄弟社の兄です

幻とリアルな田中 感じていた

 それにしても便器はつよい。
 相当ガーン! ってぶっつけてもまったく欠けなくないですか?
 強靭なしろい膚。毛穴ひとつありません。その流線型に、老若男女べてをうけいれます。
 少々ネジのはずれた性的な感性をもちあわせただけの人間ごときが肉便器をなのるなどということは、見当ちがいもはなはだしい。とんだおもいあがりなのです。抗菌トイレは汚れに強い。
 おまえなど、ただの肉だ。いや、焼いてくえない以上、肉ですらない。穴のあいたゴミだ。

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 その日私たちはbirdguhlsは、高円寺のライブハウスで途方にくれていました。
 ドラムのミカミさんが、大学院のオリエンテーションとかいうどうでもよさそうな別件の押しにより、いっこうに姿をみせないのです。

 このままでは出演が危ぶまれます。

 ダニさんの話のつづきにあたります。
 結局私たちのリハの時点で、ミカミさんはまだオリエンテーションの会場をぬけられずにいました。
 私たちは共通して反社会的な魂をだいて生きているからこそ、仲間のささやかな社会性をふみにじるようなことはけっしてしませんでした。足抜けの邪魔はしないのです。
 あの息をするようにアフロヘアになったりするどパンクのミカミさんがガッコーの行事をおもんじるとあらば、私たちは笑顔で応援するまでです。
 しかし、それはそれとして出番は刻一刻とちかづいてきています。
 ミカミさんの唯一無二のドラムは、いうまでもなくセッションの核。中軸です。
 彼なしでの合わせは、リハスタですら未経験でした。

 ダニさんが演奏中にみせつける狂気はメンバー随一のものでしたが、楽屋や打ち上げの席でのひとなつっこさもまた、だれよりもつよくあたたかいものでした。
 そのときもダニさんは、ニコニコとわらって、彼が出番前にいつもおこなうしんじられないようなおおきな生音でメジャースケールをなぞるという基礎練をくりかえしながら、私たちの緊張をほぐすように饒舌にかたってくれました。
 その喉にきえる酒の量とともに、彼のテンションはうなぎのぼりになっていきました。
 演奏前に飲酒することは当時の私たちにとってはめずらしいことではありませんでしたが、その日のダニさんはガチのみでした。

 ライブハウスが開場し、数人のお客さんが腕組みをしたりたばこをふかしたりするのを前にして、対バンの演奏がはじまりました。
 とおくの会場でオリエンテーションに参加しているミカミさんは、とうにデッドラインをこえており、出番にまにあうのぞみはほとんどなくなりました。
 ダニさんは楽屋で、リペアからもどってきたばかりだというあおいビザールギターを提げたまま、はしゃぎまわっていました。
 彼のまっかになった両目をみながら、私は覚悟をきめました。たとえドラムがいなくても、このひとと一緒ならなんとかなるだろう。
 マツイさんも苦笑いをうかべながらも、しずかな表情でした。  

 出番がやってきました。

 演奏開始、五秒。
 ダニさんのギターが宙にまっていました。
 修理されたばかりのその楽器は、無愛想なノイズを発するだけの木片になって、よこたわっていました。

 私はそのとき、ロックギターをしりました。

 楽器破壊など埃をかぶったアナクロだ。ノイズギターはつまらない懐古主義だ。
 そのようなブッキッシュなにくまれ口しか頭にうかばぬちいさな人間がいるとすれば、彼の視聴覚にそのひらめきがあふれることは生涯ないでしょう。不憫なことです。
 ロックはしんだ音楽、エレキギターは大時代な木工品です。
 その認識は、音楽になんの否定的な意味も、むろん肯定的な意味ももたらさないのです。
 生きることの意味を考えながら生きずしてしんでいくことは、私には滑稽におもえます。
 他の生きざまに論評をくわえながら己の生きざまを持たぬがごときも、またしかりです。

 私にとってのロックギターは、暴力的な生命の力です。

 騒々しくもうつくしいノイズをまきちらしながら、彼はいまも東。京の空気の底ではしっています。
 そして、無我夢中でこなした出番の直後、汗まみれでハコにかけこんできて全員の失笑をかった天才ドラマーミカミさんと、それから太郎ちゃんと、私とがあらたに組んだバンドが砂糖鳥です。
 砂糖鳥は、Qでも、またbirdguhlsでもありません。私や太郎ちゃんにコバヤシさんやダニさんやマツイさんの代わりはできないし、したいともおもわない。
 私たちは私たちのことをやっていきます。

 ただ私は、あの夜うちすてられたギターのうつくしさを、今も夢にみる。

 ここでおわったらきれいだったですよね。
 あのうそいで、話の腰おるようでもうしわけないのですが、まずはみなさんがAfrica聴きながらこれよんでたかとおもうとしぬほどおもしろい。
 あと、もひとつだいじな話があって、なんかこう、ブログにまとめる都合でこういうかんじにかいたんだけども、ギターはなげてるときより弾いてるときのがかっこいいにきまってます。
 私がダニさんに心酔していることは、まぎれもない事実です。そらあしかし、普通にいわゆるサウンドであるとか、プレイスタイルに影響うけとるのですよ。
 それだと四行くらいで話おわっちゃうからね。もうわかっただろう、いい年してちまちまブログつけてるような大人を一切信用するな。
 だって上記のライブ、ダニさん開幕5秒でギター破壊しちゃったから、その後ハーモニカふいたり歌うたったりしてましたからね。ほとんどギターじゃないんだもん。いやそれも最高にかっこよかったけど。

 ただ、高級な楽器を後生だいじに弾いているのよりかは、たたっこわすいきおいで弦になにかをぶつけてるほうがサウンド的にもすきということだけはたしかです。

 ギターは便器ほどにじょうぶでないので、どんなに丁寧にあつかっても演奏するかぎりにおいてはすこしずつ消耗していきます。
 くもりやよごれを磨きおとし、棹の反りをただし、すりへった部材を交換し、ギタリストは愛機との年をかさねていきます。
 それはたいへん趣ぶかく、とうといさまにおもわれます。
 ただ、演奏の場においては、今夜かぎりでおまえとはおわりだ、といわんばかりの気迫、暴力性がほしいのです。
 その速度はそのまま音にかわっていきます。

 金属倍音、まとっていく。