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国やぶれて田中あり

田中兄弟社の兄です

逆らい続け あがき続けた 早く田中になりたかった

 茨城、というのはあまり人間のいない場所としてよくしられていますが、なぜかそこに恩人がいます。
 と私に高級な果物や肉料理をごちそうしてくださったり、done on (a) NEET rockのリハでメインにしている非常に鳴りのよい楽器を2万でゆずってくださったり、足をむけてねむることができません。
 このお方のお宅で私とは、いつものように完全に酒池肉林となり、心身ともにいい意味でくたばりかけていました。
 そういう状態で、ちょうしづいて私は恩人所蔵の高価なギターを手にとり、びしゃびしゃとかきならしはじめました。
 わたしのカッティングのフォームがあまりにも非人道的なので、とっさに恩人が指南してくださいました。
 「あの、ピックをやわらかくもってください。今手首に『返し』がないから、ダウンしかないから。(実演しながら)この動きを意識してください」
 この瞬間、おそらく私のもともとツッている目がV字回復のきざしをみせはじめたことと想像されます。
 「……別に『返し』とかいらないんですよ」
 「あ、ええとでも、そのフォームで二時間振れますか?」
 「振れますよ。こればっかやってるんで」
 「そうですか……ええと、そしたら、この辺(ブリッジ寄り)にピックあててください。そこでやっちゃうと音が暴れるんで」
 「この音がほしいからいいんですよこれは」
 「ああじゃあもうそれ、ギターというよりノイズですね!? ギターウルフですね!」
  「……そうですね」
 恩人は人生の大先輩なので、私の無礼にも動じず、なんとかその場をとりなそうとしてくださっていました。
 にもかかわらず、おそらく私の表情はかたいままでした。
 後にも、あの場に私が走らせた緊張について言及していました。「どんどん機嫌わるくなってたね」と。

 この際ひとこともうしあげておきます。
 その節はもうしわけありませんでした。しんでおわびします。
 恩人はプロのミュージシャンです。パートはキーボードですが、ギターの腕前もプロ級です。
 そういう方が親切でしてくださったありがたいアドバイスにたいしてこの態度。のびない初心者の典型です。

 ピックをふわっとのせたかろやかなカッティングは、恩人のおっしゃるままにできているかわかりませんが、私もやります。つか声がほそすぎて、よわめにきざまないと自分の声がきえる。
 そういうフォームで演奏される音楽が世の趨勢をしめていることは私とて重々承知しております。
 しかしそのときの私は、朦朧とする頭で、自分のアイデンティティにふみこまれたような気がしていたのです。  私にきざまれたたしかな音楽の記憶が、拒絶反応をしめしたのです。

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 その男は、ダニ、とよばれていました。たぶん姓である「林谷」の「谷」をにごらせたものです。
 ダニさんはQという伝説的なガレージロックバンドのボーカルでした。
 Q。ほんとうに最高のバンドでした。他の追随をゆるす部分はひとつとしてありませんでした。
 Qは4ピースで、コバヤシさんというギタリストを擁していました。このコバヤシさんが失踪してしまい、Qはその歴史に幕を引きました。

 のこされたメンバーはコバヤシさんを欠いたバンドのあり方を模索するため、フリーインプロヴィゼイションをはじめます。
 これが稀にみるガチンコのフリーで、なにがでてくるか本人たちすら一切想像がつかないという、エキサイティングなものでした。

 4人の音をつきつめたQですが、のこった3人は演奏のスタイルとともにその空気をもいれかえ、周辺で音をだしている人間をどんどんまきこむスタンスにきりかえました。
 旧Qを母体としたこのセッションを、かれらはbirdguhlsと名づけました。

 Q~birdguhlsのドラマーであるミカミさんが、私と太郎ちゃんの共通の友人でした。
 その縁で私たちも、birdguhlsのスタジオやステージにくわえていただくという幸運にめぐまれました。
 そこで私はえがたい貴重な経験をいくつもしました。

 ミカミさんは、この世で一番でかい音でスネアをたたく男です。ミカミさんの演奏で、私は限界までうちならされたドラムが、透明でうつくしい音色をかなでることをしりました。
 ダニさんはQ時代からその活動と並行して、ギターをかかえてフリーのセッション界隈に顔をだすようになっていました。そんなこともあり、birdguhlsでは基本的にギターを弾いていました。
 ベーシストだったマツイさんは、楽器をALESISのMicronにもちかえ、Qとはまったくちがった音像をbirdguhlsにもたらしていました。
 ベースが空席になったので、様々なベーシストがセッションにさそわれました。それで、太郎ちゃんが顔をだすこともあったわけです。

 さて、私はどんな音をだしていたのでしょう。
 当時の私は、コンピューターミュージックに傾倒していました。
 若さもあり、いま以上に反骨精神の塊でしたから、ラップトップミュージシャンの鉄板であるMacBookProは買えずえらばず、ASUSEeePCというインターネットとメールしかできなさそうなつらがまえのマシン、型落ちのKAOSS PADZOOMのサンプラーGuyatoneの卑猥な色のアナログディレイなどの格安機材をハードオフでかってきた得体のしれないミキサーにぶちこんでギターアンプにつなぎ、この世のものともおもえないノイズを発する、というスタイルでした。

 このあと、まあご想像どおり私がダニさんのギタープレイから多大な影響うけたって話が延々つづくんですけど、長くなってきてよむほうもいいかげんダルいとおもうんで稿わけます。

 昔話で字数をかせぐ。
 歳をかさねなければできないことだ。