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国やぶれて田中あり

田中兄弟社の兄です

田中はきたない、きたないは田中(強制労働ツアーX~慟哭の脱糞編~)

 人はどのようなとき、涙をながすのでしょうか。

 3月14日。年にたった一度きりのホワイトデー。この日にもっともふさわしい話題とはなにか。
 ねむるいとまも惜しんで、私は懸命にかんがえをめぐらせました。
 回線のむこうではブログ読者の千の美少女が、期待にその無垢なる瞳をきらめかせていることでしょう。
 この肩に私は、彼女たちのすべてをせおいこんでしまいました。この手、この指先が、乙女の運命の糸をつむぐのです。
 そこには岐路にたたされた者の孤独、心のはてにその身をよこたえる山岳のつめたい稜線がありました。

 重圧。

 しかし、最後は己のインスピレーション。否、ウンスピレーションに賭しました。
 信なくしてウンなし。己のなすべきことをなし、あとはウンを天にまかせたのです。

 あの日の那須の空のように、清冽な空気の底にしずんだ朝。
 うちすてられた私の魂に、ようやく灯火がひらめきました。
 しずかであたたかい炎、その光条は、しかしちからづよく、まっすぐに一本の道をてらしていました。
 そして私はとうとうこの地に、約束の丘に、たどりついたのです。

前回までのあらすじ■
 私と太郎ちゃんは風ウン急を告げるドナルベンイに打ちひしがれていた。
 非核保有国としてうん国際社会の期待を一身にうける。だが悲ウンの切っ先は、の下腹にも迫っていたのだった……。

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 脱糞からはじまる恋はありません。
 むしろ脱糞により恋がおわる、ということすらありえましょう。
 しかしながら恋がはじまる前提条件として、脱糞がある、ということはありえます。
 脱糞おわらずして恋はじまらず。そのようにいうことはできるでしょう。

 芽吹きの季節。
 那須のゆたかな自然、澄んだ空気の中でほのかな恋の予感に胸をたかならせていた私たち田中一門は、それに比して桁違いに近いタイムスケールと現実味でもってせまった脱糞の予感にうちふるえていました。
 予感。いや、それはもはや、予感とよべるものではありませんでした。脱糞は数分のうちに確定的に生ずる事象として私たちのからだにみとめられました。
 脱糞する身体――私たちはそれより他に、あり方を定義することはできませんでした。
 その意味で私たちは、すでに脱糞しはじめていたともいえましょう。

 そのような確度でもって恋におちることをかんじたことがあったでしょうか。
 今、このひとと恋におちる。
 いや、私はすでに、恋におちはじめている。
 残念ながら、私たちがかんじていたのは恋ではありません。便です。
 おおくりいたしましたのは便フォールズファイブブリッです。

 恩師はウン転を。いや、そんなスカラベのごときおふるまいにはおよばれぬ。運転をこのまれます。
 お宅を車で辞去する際は、恩師が愛車で先導される、のが常だそうです。そのスピードのはやいことはやいこと。
 その日の私たちにはもちろん、スピードこそがもっとも必要でした。
 目的地はひとつ。サイコーのセブ●イレブ●です。

 サイコーのセブ●イレブ●。それは、トイレです。
 あのようにトイレが充実したセブ●イレブ●は、他にみたことがありません。
 大個室二室構成。大便系が完全に冗長化されています。
 システムの堅牢性・無停止性は他のセブ●イレブ●とは比較になりません。
 うんこノンストップ
 その実現のために、どれほどのコストをかけていることでしょう。少なくともトイレ二室ぶんの予算が割かれているはずです。
 ここに店主のなみなみならぬ脱糞への執着がかんじられます。
 それは、私たち田中一門のフィロソフィーとも一致しています。
 田中一門とサイコーのセブ●イレブ●とのコラボレーション。そのシナジーが、変化のおおきいビジネスの世界でつねに最大の大便をうみだすのです。
 これは、「7キロの大便を11回にわけて排泄する」という、セブ●イレブ●という店名の由来ともなっている創業時の社是をそのまま体現するものでもあります。この不朽不滅の大便理念は、グローバル資本主義現代社会においても燦然たるかがやきをはなっています。
 なお、7と11は、ともに素数としてしられています。

 一路、サイコーのセブ●イレブ●へ!
 ところが、先導する恩師のお車が、あらぬ横道にそれてゆきます。
 このままではきずついた男たちのかえる場所、おれたちの公衆便所――サイコーのセブ●イレブ●にたどりつけません。
 絶体絶命。
 私たちの大便、どうなっちゃうの~!?

 次回、「ジーパン・ウンコその愛と死」をおたのしみに。
 なお、ネタバレになりますが、太郎ちゃんの殉職回です。

 さらば太郎ちゃん。そのきよらなる魂よ、永遠なれ。
 たとえその身はよごれても。