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国やぶれて田中あり

田中兄弟社の兄です

田中、頭をよくしてあげよう

 野菜をたべなきゃ、強くなれない。歌の文句にもありました。
 なれば野菜をたべなかったものの末路は、いかが相成りましょうや。  

 野菜たべざるもののいきつく先――つまるところそれは、死。

 織田信長公の最期をご存知でしょうか。このくだり、真田丸の源次郎と景勝とのやりとりへのオマージュ。
 第六天魔王と自称してはばかりないほどの権勢を恣にし、天下統一の一歩手前までのぼりつめた信長が謀叛により討たれ、はかなくなった理由。
 賢明なる読者のみなさまにはあらためてのべるまでもないでしょう。野菜不足です。
 信長は尾張の大うつけ、和製ジョブズとうたわれた男ですから、当然野菜など一切たべません。信長が野菜をたべているという文献に、私はあたったことがない。
 大麻はすこしばかりたしなんだかもしれないが、インドで自分をさがすのは若気のいたりです。
 野菜をくわずしてカルシウム等のミネラル不足におちいった信長が、極度のストレスにさいなまれたであろうことは、火をみるよりもあきらかです。
 そんな信長は、なにをしたのでしょうか。  

 叡山を焼き討ちにし、森蘭丸の尻で桶狭間し、森蘭丸の尻に楽市楽座し、森蘭丸の尻を刀剣乱撫し、明智光秀をいじめぬきました。
 そうです。その報いが、本能寺です。
 信長は野菜をたべなかったがゆえに、天下への道でつまづいたのです。

 では、その後継者たる、木下藤吉郎――のちの太閤豊臣秀吉は、いかがであったでしょうか。
 これはもう、いうまでもありません。

 かれは百姓の出でした。
 その時分には、野菜と馬糞しか、口にできるものはありませんでした。
 米はすべて年貢としてめしあげられたのです。  

 ところで、馬糞にふくまれるGABAとよばれる成分には、リラクゼーション効果があります。これにより秀吉は栄華をきわめ、信長でさえ手の届かなかった関白の座にまでのぼりつめたのです。  

 全盛期の秀吉は、そのかつての主君たる信長にくらべればだいぶおだやかな人物である印象をうけます。
 ときどきおもいついたように甥や千利休をころしたりもしましたが、誤差の範囲です。    

 食糞パワーで不動の平常心と天下を手中にした秀吉も、晩年はなにをおもったか塩漬けの耳ばかり食していた※ということです。(※詳細不明)
 耳は野菜でもなければ、むろん馬糞でもありません。
 かくてここに太閤秀吉の命運も尽き果て、豊臣政権はたった二代でほろぼされるにいたります。  

 さて、いよいよみなさんおまちかね。
 その半生で辛酸をなめつくしながらもついには天下をおさめ、二百年の太平の世の礎をきずきあげた東照大権現徳川家康はどうであったでしょうか。  

 これはもう、たいそうな野菜生活であったことが想像されます。
 さっするに、馬糞もたべたことでしょう。その口にはいった馬糞の量もなみなみならぬものがあったことはまちがいありません。
 野菜に馬糞をつけて食す。あるいは馬糞をとかした湯で野菜を煮る。そのようなことも、おこなったとおもわれます。そこに土から生じたものと、土を生じせしめるものとの間でのシナジーがうまれる。
 後にこれが、味噌とよばれることになります。  

 ながきにわたった人質ぐらし。三方ヶ原での大敗。秀吉におしつけられた高齢の正室。彼の半生には苦労がたえませんでした。
 その孤独と絶望によりそったのが、食糞行為でした。  

 家康の最期は、食中毒による病死であったとする説があります。うなずける話です。

 馬糞がわけた三英傑の明暗。いかがでしたでしょうか。いかがもクソもないというか、いや、クソはある。

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 高菜、食べてしまったんですか!!??
 野菜は四品目※の野菜が同時にとれる博多ラーメンで補給しろ。(※ねぎ・高菜・きくらげ・紅しょうが)