読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

国やぶれて田中あり

田中兄弟社の兄です

あなたの田中中毒もおさまります

 作詞作業に没頭していました。ナウいいいまわしをすると詞活です。

 歌詞とはなんであったでしょうか。

www.youtube.com

 わかい時分は、その問いには確たるこたえがあるとおもっていました。
 まさにそれは歌詞というものを軽んじていたからにほかなりません。まったくもっておろかしいことです。
 音楽とはなにか。そのこたえが当の音楽そのものでしかありえないのとおなじことです。
 そこに、他のことばでつづれるようなこたえはないのです。

 説明できないことしか必要ないとおもわれるのです。音楽、文学、詩歌といったような、欠くことがあってもつくり手本人以外は死なない類の世界においては。
 内容に具体的にいいおよんでいくにつれ、かげがえのないものであるか否か――すなわち、他のもので(完全に)代替できる可能性。おおきな構造としては、そうした話になっていきます。
 どのように代替可能であるかという話が延々されているようにおもわれ、興味がもてません。
 たとえばクオリティ、でありますとか、作業コスト、とかいった論点などがそうです。
 それだけのことがされた、という話であれば、そこにはつまり質や量があるだけであり、私にとっての輝きはありません。
 すげえ、やばかった。完全に聴くしかない、いますぐ聴け。こういった文言だけに私は、目をほそめています。仮にその対象が私の趣味でなかったとしてもです。
 あなたにとっての奇蹟にだけ、私は興味があるのです。

 上記ですが、うそです。
 はっきりいってあなたにとってのなにものにも、私は興味をもちあわせません。
 いまのところ有村架純さんにだけ興味がある。

 有村架純さんとはなんであったでしょうか。
 有村純架さんではないのです。10ぺんくらいひとに確認してやっとおぼわった。

 役作りのために5キロも増量した有村架純さん
 ふとってもかわいいのはなぜでしょうか。
 ふとるとかわいくないひとがいるとすれば、ふとってもかわいい有村架純さんとのちがいはなんであったでしょうか。

 そんなことはどうでもよかったのでした。
 ただ私の心に一点、有村架純さんだけがあればよい。宵の明星のように。

 その光にむかって私ははしっていく。