悪貨は田中を駆逐する

ギターボーカルのタナカサトです

あの日見た田中の名前を僕達はまだ知らない。

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 モテる田中とモテない田中のちがいについて、ひきつづきおはなしします。

 前回、ぶんちゃんの巨根はぶんちゃんのモテとは関係ない、というところまでおはなししましたね。よまなくていいんだよ。

 では、ぶんちゃんのモテの秘密が、彼のノドンに、あるいはテポドンに、ないとするならば、そのありかとは、モテの源泉とは、どこであったでしょうか。

 そのこたえにせまるまえに、まずはモテない田中の話をしましょう。

 このブログには、いまのところ三人の田中とが登場します。
 私、ギターボーカルのタナカサト。
 ベースのぶんちゃん。

 ギター、ベースときたならば、ドラムにも田中はおりましょう。
 海の底にも、都はありましょう。

 教ちゃんとて、私と比較したら断然にモテています。
 本人は断じてみとめることをしませんが、私の目には教ちゃんのモテがはっきりとうつっています。私の目は、節穴ではないのです。

 したがいまして、まずはモテない田中は私ということになりましょう。
 もっとも、私がそうである要因、すなわち、私の非モテ要素、ともうしますのは、このブログの読者諸兄にはご説明もうしあげるまでもないこととおもわれます。ありていにもうしまして、よんでりゃわかんだろ。

 私よりはモテる田中、教ちゃん。
 しかしながらそのモテ量は、モテクオンティティは、ぶんちゃんとはくらぶるべくもありません。
 ぶんちゃんと比較したとき。ぶんちゃんを基準値としたときに、教ちゃんもまた、モテない田中であるといえるのではないでしょうか。

 では、ぶんちゃんと、教ちゃん。モテる田中と、モテない田中。いったい、なにがちがったのでしょうか。

 一昨日の夜。私たちは、例によって酒におぼれていました。
 私たち――つまり、教ちゃんと私。モテないほうの田中たちです。ぶんちゃんは、酒におぼれるということがほとんどありません。まずここがちがう。

 様々なことがあったらしいのですがおぼえておらず、意識がもどったときには千葉県我孫子市にいました。
 千葉県我孫子市事実上の茨城県
 東京にかえる電車は、当然にありませんでした。

 モテないほうの田中がふたり、用もないのに深夜の我孫子
 私は「Fxxk」とかわめきちらしながら教ちゃんをタクシーにおしこみ、また自分ものりこみました。
 最寄りのネカフェが徒歩15分の場所だったのです。そのときの私は眠気にくわえていくらかの頭痛もありましたので、あるいていく気はとてもしませんでした。

 「iPhoneがみあたらないんだが」とうったえる教ちゃんを「むかしはiPhoneなんかなかったんだよ」などとなだめすかしながら自遊空間の戸をたたくと、ネカフェ特有のわずらわしい入会手続きがまっています。
 泥酔した私がトロトロとタッチパネルの操作をなんどもしくじったりしておる間、教ちゃんはトイレをつかったりしていました。

 まあたらしい会員カードと伝票を手に、はれて受付から放免され、やれやれ始発までひとねむり。
 といったところで、トイレからでてきた教ちゃんが私をよびとめると、めでたく鞄のなかから発見されたというiPhoneの画面をのぞきこみながら、想像だにしなかった言葉をいいはなちました。

 「そしたらまあ、僕はどうやらかえれるんで、あるいてかえるわ」

 そのときの彼に私がいかなることばをかけたか、さだかではありません。
 記憶は、ここでとぎれています。

 翌朝、5時すぎ。
 ジャケットをはおったままフラットシートに横になっている男がいました。それがどうやら私です。
 悲惨な状態を自覚しながらも、それでも昼まで寝すごしたのよりははるかにマシと、気をとりなおしてさっそく、教ちゃんにLINEをいれます。
 「俺そろそろかえろうとおもうんだが君どうする」

 そこで、重い頭に昨夜の記憶のかけらが閃光のようによみがえりました。

 「そしたらまあ、僕はどうやらかえれるんで、あるいてかえるわ」

 まさか。

 私はすこしくふるえをきたした指で、LINEをうちました。

 「まさか君、かえったのか」
 「おういぇ」

 おういぇ、ではないのです。

 彼はほんとうに、徒歩で東東京にかえっていました。つまり不眠不休で、自室まであるきとおしたのです。
 東なりとて東京。6時間かかったそうです。
 24時間テレビの終盤みたいなことを、彼はひとりでやっていたのです。

 おどろきもさめやらぬまま、しかし私も帰宅して私の1日をはじめなければならないので、払いをすませておもてへでました。
 朝日のやわらかさ。Googleの地図をたよりに、駅まであるくことにしました。

 みおぼえのある音と光。ここは。
 我孫子――そうです、かつて茨城にすんでいたころ、ぶんちゃんと一緒にちょうどこのような時間帯、彼にさそわれて散歩しにきた、そのなだらかな丘の上の町並みでした。

 わらってしまうほど、そこは記憶の中のあの朝と、なにもかわっていませんでした。

 目的地はありませんでした。私たちは気のむくままに路地にはいり、シャッターをきり、言葉すくなにかたらいました。
 ぶんちゃんは、そのようなことに、つまりは、ほんのりデートめいたことに、ほんとうに何の気なしに、友達をさそうところがありました。もちろん、他意はないのでしょう。おそらくはささやかに素敵な時間を、願わくは友と共有したい、といったきもちなのです。これってモテになりませんかね。
 ぶんちゃんは土地勘がつよく、どのような場所でもまようことがありません。彼にまかせておけば、てきとうに歩きまわってあも必ずかえれるのです。これってモテになりませんかね。

 そろそろ、おわかりいただけましたでしょうか。
 モテる田中と、モテない田中。

 朝の我孫子を、友人とあてもなくそぞろ歩く田中。
 夜の我孫子を、東京の自宅までひとり6時間歩く田中。

 そして、6時間田中とともに歩いてかえればひと晩でハクリューを進化させられたかもしれないと今かんがえているポケモントレーナー田中が、今後モテるみこみはあるのでしょうか。

 田中たちに明日はない。