悪貨は田中を駆逐する

ギターボーカルのタナカサトです

空から田中を見てみよう

 ひとの身体的な特徴をことさらにあげつらう。ともすればそれをあざわらい、はてはののしるなどする。
 そういったことは、人の道をはずれたおこないといえましょう。
 度しがたいことなのです。

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 いけません。

 ありとあらゆる非人道的な言動がまかりとおる無法地帯、すなわち、わが実家唯一のタブーが、このふた文字なのです。
 神聖二文字を口にしないこと。それがタナカ家最後の良心であったのです。

 おさなき日の私は、神童でした。

 二歳にして、「柿の実がいろづいてきたなあ」などと口走っていたとの由。
 そのヴィヴィッドな言語感覚でもって、おのれを抱いている父親の頭をなで、親戚一同がそろっている場で、「なんだこりゃ、ハゲてんじゃねえか」と、大声で。

 いけません。

 父は私を抱いたまま、無言で退室したそうです。
 その後父が私に対してなにをいい、あるいは、なにをおこなったのか。だれも知りません。

 以来、その二文字は、父がいないときにだけいいかわされる語となりました。
 母子の、秘密の合言葉となりました。

 カツラ、育毛、植毛、発毛。すなわち、ちまたにあふれかえる薄毛対策。アデランスイブクイーン。
 それらのコマーシャルが我が家の食卓にもたらす、澱のような空気。海原はるか・かなた師匠の罪深さ。タモリさんへの、疑惑。マスメディアが報じないこと。

 頭髪とは、なんのためにあったのでしょうか。
 私たちに新たなかなしみをおしえるために、生えたり、あるいは、生えなかったり、するのでしょうか。

 この世界には、たとえ事実であっても、絶対に言及してはいけないこと、があります。
 たとえば、敢えてうつくしいところをいきますと、ある種の想い、も、そのひとつではないでしょうか。すなわちそれは、禁じられた愛です。
 道ならぬ恋。その胸にたしかにある言葉を秘めたまま、かさねる逢瀬。
 おまえはどれだけ私の心をたたいてる。
 これ以上、私の評判をさげるな。

 違うだろ?

 いけません。

 ことばとは、なんのためのものでしょうか。
 他に対してのそれ、ということにかぎってもうしあげるならば、ふたつに大別して考えることができましょう。

 つまりそれは、必要な情報をつたえるためのもの。
 あるいはそれは、なにかしらのきもちを生じせしめるためのもの。

 既に歴然とハゲている人間、いけません。既に歴然と頭髪にかなしみをたたえた人間、未来を。
 その当人に対して、このハゲ、といいたてることが、情報としてどのような意味をもちえましょうか。
 たとえばそれが、ハゲ、違うだろ? 患部、ともうしますか、特定危険部位が、鏡にうつらない頭頂部、ないしは後頭部であり、本人のしるところでないとすれば、情報としてもたらさなければならない場合も、一般的に考えられるわけです。
 つまり、「この(部分の)ハゲ」という場合です。

 では、ハゲ、ピー。その、なんというか、あの差別用語が喚起するのは、どのような感情なのでしょうか。

 しりとうない。

 前にももうしましたし、また賢明なるみなさんには冒頭の一節からおさっしのことともおもわれるのですが、私は父方から特定危険遺伝子をついでいます。
 父も、父の父も、父の父の父も、特定危険人間でした。

 さけられる運命なのでしょうか。
 このハゲ、とののしられながら、打擲をうける。私には、他人ごととはとてもおもわれないのです。

 人間はひとつずつ、両親から肉体をあたえられます。みずからえらぶことは、残念ながらできないのです。
 その肉体が、のがれられぬ業をせおわされていることもあります。
 なれば、絶望のありかは、闇の底は、どこであったしょうか。

 ハゲにハゲと言ってはいけません。

 イジられたほうが気が楽だろう、などと、余計な忖度をさしはさんではいけません。
 そうした優越感と通底した傲慢さが、今日もどこかでいじめの構造を生むのです。
 彼らは毛がないぶん、きずつきやすい。そのようにかんがえてください。ダーウィンが来た!」のナレーションに接するように、知識としてうけいれてください。

 ちょおっと待ったあ。
 なんですかハゲじい。

 闇ばかりではありません。
 不毛の地にさす光も、あるのです。反射光の話をしたいのではない。
 つまり、「ハゲ散らかした」紳士の自由恋愛の話を、ききました。アラサー巨乳美女との酒池肉林の話を、ききました。また光もらっちゃったね。

 元気出るよ。

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